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- ラミーカミキリ 野良の生きものたち 2024年6月8日
ラミーカミキリ 野良の生きものたち 2024年6月8日
- 2024/6/8
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梅雨入り前に現れる昆虫の代表選手?
ラミーカミキリちゃん。
どくろ模様にしか見えないのですが、なかなか可愛らしい。
カラムシという植物を食べる昆虫です。
カラムシはこの辺ではどこにでもある、かなり大型になる植物。
知らなかったけど、繊維として利用していた歴史がるようです。
利用[編集]
今でこそしつこい雑草として嫌われる場合もあるが、茎の皮から採れる靭皮繊維は麻などと同じく非常に丈夫である。績んで取り出した繊維を、紡いで糸とするほかに、糾綯って紐や縄にし、また荒く組んで網や漁網に用い、経と緯を機って布にすれば衣類や紙としても幅広く利用できる。分布域では自生種のほかに、6000年前からヒトの手により栽培されてきた。
栽培種のラミーは、中国をはじめ、ブラジル、フィリピン、インドネシア等で栽培されている。中国では年3-4回、フィリピンでは5-6回の収穫が可能である[4]。
日本における利用[編集]
歴史[編集]
日本において現在自生しているカラムシは、有史以前から繊維用に栽培されてきたものが野生化した史前帰化植物であった可能性が指摘されている[5]。古代日本では朝廷や豪族が部民(専門の職業集団)として糸を作るための麻績部(おみべ)、布を織るための機織部(はとりべ、はとり、服部)を置いていたことが見え、『日本書紀』持統天皇7年(693年)条によれば、天皇が詔を発して役人が民に栽培を奨励すべき草木の一つとして「紵(カラムシ)」が挙げられている。
中世の越後国は日本一のカラムシの産地だったため、越後上杉氏は衣類の原料として青苧座を通じて京都などに積極的に売り出し、莫大な利益を上げた。新潟県の魚沼地方で江戸時代から織られていた伝統的な織物、越後縮はこれで織られていた。また上杉氏の転封先であった出羽国米沢藩では藩の収入源のひとつであった。このため、カラムシの専売化をめぐり、宝暦10年(1760年)の『青苧騒動』や文化4年(1807年)の『青苧一件』が起こる。なお、置賜地方産のカラムシを「米沢苧」という。この他、江戸時代の北日本での有名な産地に陸奥国会津や出羽国最上地方があった。
一方、南方では薩摩藩がカラムシの生産や上布の製織を奨励したため、薩摩藩(鹿児島県)や琉球王国(沖縄県)では古くから栽培や加工が発達した[5]。
現状[編集]
本州では、福島県会津地方の昭和村が唯一の産地であり、国の重要無形文化財に指定されている「小千谷縮・越後上布」の原料とされている。
沖縄県宮古島市の宮古島では、苧麻の栽培から、手績み等を経て、宮古上布の織布までの行程が一貫して行われている[6][7][8]。
また、こどもの文化として、葉を服にくっつける遊びや、片手に葉を乗せて強く叩き、破裂音とともに葉を破く遊びがある。
「からむし」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。
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